10月号に引き続き、「激動の平成ファッションビジネス史」を振り返るとともに、次代への視点を探ってみたい。前編ではバブル期~バブル後の不況期を取り上げたが、後編では、21世紀を目前に控えた平成10年(1998)からスタートする。平成20年代に入ると本格的にファストファッションが市場をけん引し、ZOZOTOWNに代表されるファッションECモールが台頭するなど、ファッション流通は大変革期を迎えた。
■【第3期】
ユニクロブームとマルキューファッションの時代
平成10年(1998)~平成13年(2001)
「失われた10 年」と揶揄されるように、1990 年代後半を迎えても、景気は低迷したまま。この景気低迷期に成長したのがファーストリテイリングである(当時の店名はまだ「ユニクロ」ではなく「ユニーククロージングウェアハウス」だった)。ファストフード的に、安いわりに高品質で素早く商品を提供できる業態として、地方の郊外店を中心に急成長を遂げていた。そのユニクロを全国区に引き上げたのが、平成10年(1998)の原宿店オープンとフリースキャンペーンである。当時、アウトドアブランドでは2 万円以上していたフリースを、ユニクロは1900円という価格で実現する。原宿店では連日長蛇の列ができた。
1990 年代後半には「ギャルブーム」も起きる。ギャルたちの象徴的存在が、先日引退した安室奈美恵さんだった。茶髪・ミニスカート・チビピタTシャツなどのルックをまねするギャルが続出し、「アムラー」という言葉を生んだ。中でも結婚発表の時に着用していた「バーバリーブルーレーベル」のチェックの巻きスカートは大ヒットとなった。また、他のファッションビルにはない個性的なブランド群をその特徴としていた「SHIBUYA109」がギャルの聖地となり、各ショップ店員は「カリスマ店員」と呼ばれ、ギャルたちのコーディネートのお手本となった。
■【第4期】
実感なき好景気時代
平成14年(2002)~平成20年(2008)
不良債権の処理などが進み、景気は徐々に回復基調に。平成17 年(2005)の経済財政白書では「バブル後からの脱却」が宣言された。平成15年(2003)に伊勢丹メンズ館リモデルオープン。好景気を背景にメンズファッションが息を吹き返した。また、銀座・表参道などにラグジュアリーブランドの大型旗艦店の出店が相次いだ。
ただし、これらの好景気は一部の富裕層だけが享受できたものであり、平成18 年(2006)の流行語大賞には「格差社会」がランキングされている。低価格帯の商品はユニクロやしまむらが大きなシェアを占める状態で、これからのファッションビジネスは富裕層を狙うべきだという論争も起きた。富裕層への憧れを表現したセレブという言葉がもてはやされ、“セレブ風ファッション”“セレブ系女子”などという、今となっては意味不明な表現も多く聞かれた。
また、平成20年(2008)にはアウトレットモールのブームも起きた。新たに入間、仙台港、仙台泉などのアウトレットモールが次々とオープン。既存のアウトレットモールも大規模増床などを行い、休日には長蛇の列ができた。今はすっかり「買い物≦レジャー」という状況のアウトレットモールだが、この時代のアウトレットモールへの来店動機はショッピングだったのである。好景気を背景に高級なブランドへの興味関心が強くなっていた消費者が、気兼ねなくショップに訪れることができ、少しお得に買い物ができることで、“気持ちの格差”を埋める業態であったのかもしれない。
■【第5期】
ファストファッションと ファッションECモールの時代
平成21年(2009)~平成30年(2018)
平成20年(2008)~平成21年(2009)にかけてのリーマン・ショックを受けて、日本は再び景気低迷期に突入してしまう。ファッション業界にも暗雲が垂れ込めた。
時を同じくして、海外の低価格SPA=ファストファッションブランドが次々と上陸。平成20年(2008)にはH&MとTOPSHOPが、平成21 年(2009)にはFOREVER21が上陸。すでに日本展開していたZARAは、2008 年ごろから一気に店舗数を増やした。迎え撃つ日本勢はGUが平成23 年(2011)に、ベーシック路線からファッション性強化へと方向転換することで急成長。平成24年(2012)にはさらにOLD NAVY が上陸。ファストファッションは高感度&低価格な魅力で消費者の支持を急激に集めた。これまでは中~高価格のブランドVSファストファッションという対決構図だったものが、ファストファッション同士の競争という構図に転換してきた。これらのうち、TOPSHOPとOLDNAVYはすでに日本市場から撤退。
ファストファッションの成長の陰で、徐々にその頭角を現してきたのが、ファッションECモールである。
日本でeコマースのサービスが始まった平成10 年ごろは、ファッションはeコマースには向かないと言われていた。試着が必要だし、色や素材の感じは画面ではわからない。提供する側も、玉石混交のネットモールに出店するのはブランドイメージを損ねるし、かといって自社で過大なシステム投資をしてまでeコマースをやる必要もないと思われていたのだ。これらの懸念をうまく払拭したのがZOZOTOWN。サービスの開始は平成16 年(2004)である。ちなみにこの年の衣料・アクセサリー市場全体のEC化率はわずか1.4%※ 1。ZOZOTOWNは中感度以上のファッションに特化して、ブランドイメージも毀損せず、基本的には定価販売であったため、既存店舗への影響もない。出店側にも大きなシステム投資が要らない。平成17年(2005)にはユナイテッドアローズが参加し、以後ビームスなど大手セレクトショップがこぞって出店したことで成長軌道に乗る。以降のZOZOTOWNの急成長はご存じの通り。他のECを寄せ付けない強さを誇り、消費者側にも「ネットでファッションを買うならZOZOTOWN」というスタンダードが形成されていった。ZOZOTOWNの2018年3月期における商品取扱高は、2700億円を超える。
平成28 年(2016)、衣類・服装雑貨等のEC化率はついに10%を超えた。平成29 年(2017)には11.54%※2。市場規模は物販系分野ではトップの1.6兆円を超え、ファッションはECに不向きというそれまでの定説をくつがえす急成長を遂げた。
■次代のファッションビジネスへの視点
平成の30 年間は激動とも言えるファッションビジネスの変化の時代だった。景気に翻弄されつつも、その都度荒波を乗り越えていくことで、業界も消費者も逞しくなってきたのではないか。次代には景気だけでない荒波が待ち受けている。人口が減少するとともに年代の構成比が大きく変わる。平成時代までは若年層向けに偏りがちでも、業界はかろうじて生き残ることができた。これからは、もっと幅広く大人世代のことを考える必要があるだろう。また、人口が減少する日本だけではビジネスの限界が生じる。海外進出は平成時代にやりきれなかった宿題として残されている。
平成不況の副産物である、ブランドや商品の同質化は放置してはならない問題だ。このままだと、ファッションそのものへの関心低下が進行することも懸念される。購入以外の選択肢の増加も予測される。ファッションを楽しむという観点で考えると、購入して着るということだけが選択肢とは限らない。今話題のサブスクリプション型のビジネスモデルももっと進展するかもしれない。
変化への対応に追われた平成時代から、自ら変化していく時代へと考え方もシフトする必要があるだろう。
(※1:平成16年度電子商取引に関する実態・市場規模調査/経済産業省)
(※2:平成29年度我が国におけるデータ駆動型社会に係る基盤整備(電子商取引に関する市場調査)/経済産業省)
著者情報
第1ディビジョン マーケティング開発第1グループ 小売業やメーカー向け戦略策定、商業デベロッパー向けの戦略・コンセプト策定・ディレクションなどが主な業務。時代を独自に読み解く視点で執筆・講演も行なう。同社ホームページにて「太田の目」を連載中。オリジナル調査「Key Consumer Indicators by ifs」のディレクターも務める。1963 年生まれの「ハナコ世代」。あいみょんの大ファン。
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